盛中国プロフィール

1954年、中央音楽学院付属中学校に入学。60年には国家派遣留学生に選ばれモスクワ音楽院に入学して、レオニード・コーガンに師事する。62年チャイコフスキー国際音楽コンクールで栄誉賞を受賞。64年に卒業、帰国。65年には中国中央楽団(現・中国国家交響楽団)所属の独奏ヴァイオリニストとなり、亡くなるまでその地位にあった。
苦難にあった文化大革命時代を乗り越え、1979年にメニューインが訪中した際には、中国を代表するヴァイオリニストとして、バッハの<2台のヴァイオリンののための協奏曲>を共演。80年からは中国の改革開放政策のもと、再び国際舞台において活躍を始める。特にオーストラリア公演では、シドニー・オペラハウスにおいてコンチェルト、ソロを五夜連続で公演して絶賛を博した。
86年、第3回日本国際音楽コンクールの審査員として初来日。コンクール後、日本の若手ピアニスト瀬田裕子とデュオを組み各地で演奏、以来日中両国で共演の回数を重ねてその人気を高めた。91年、第1回馬思聡国際ヴァイオリン・コンクールの審査員として渡米。95年、キングレコードからCD「梁祝/牧歌〜盛中国/大地の旋律」を発売、各方面より高い評価を得る。
中国でのレコーディング数と総売り上げもクラシック演奏家としては異例の多さで、90年には中国レコード総公司よりレコード賞”金賞“を贈られた。
2001年から16年まで、公私共に最良のパートナーである瀬田裕子と東京で毎年リサイタルを行なっており、その卓越したテクニックと人間味溢れる音楽は、亡くなった後も多くのファンを魅了し続けている。
2008年の北京オリンピックに際しては、「盛中国・瀬田裕子 芸術の旅」コンサート・シリーズが、同オリンピック組織委員会の正式イベントに認定された。2014年、中国人民大会堂にて中国国家交響楽団と共演し1万余席を満席にした<盛世中国夢>コンサートは大きな反響を呼び、日中のマスコミで大きく報道された。
中国・政治協商委員を2008年まで4期に渡って務めたほか、中国ヴァイオリン学会会長、中国音楽家協会理事、中国社会経済文化交流会の理事を務めた。
2000年、日本外務大臣表彰。2018年旭日小綬章受賞。